エイベックス60年の歩み/AVEX記念誌

AVEX記念誌

お付き合いのなれそめを教えてください。

永井 エイベックスさんとの最初のお付き合いは、1996年ですね。ちょうど12年前です。会計業務のシステム構築を、当社でお手伝いさせていただいた事が、きっかけです。

加藤 当時は会社の規模に関わらず、オフィスの電子化が大きな潮流でした。当社も、何本か会計ソフトを購入したんですが、どうも使いこなせない。それで、名南経営さんにお願いしたんです。ソフトを購入するだけでなく、使い方なども含めてね。

永井 実は、お声をかけていただく前から、加藤社長のお名前は存じ上げていたんです。あの頃、当社の事業の一つに「イーコール」というものがありまして。これは言わば、経営者同士で情報交換するためのパソコン通信のようなものでした。その情報網の中で、時折、加藤社長のお名前が出ていたんです。「彼が、切削加工業界のキーパーソンだよ」と。

加藤 中小企業家同友会で積極的に活動していたので、その関係から名前が出てきたのかも知れませんね。ともあれ、電子化によって、会計業務が劇的にスピーディーになりました。お陰で、それまで後追いだった財務分析から、先を見据えた経営戦略を立てられるようになった。で、その部分も名南経営さんにアドバイスを受けようということになって…。

永井 最初は「領収書から何が見えるかを教えてほしい」と依頼されたんですが、次第に、本来のコンサルタントのお手伝いをするようになり、今に至っています。


最初はどのような印象をお持ちになりましたか?

永井 加藤社長については、バイタリティのある方、という第一印象でしたね。2代目なのに、創業者のような雰囲気がある。当社の前社長には「素直さ、勉強好き、プラス発想」というモットーがあり、私達はいつもその言葉を聞いて仕事をしてきたんですが、その要素を兼ね備えている方だなと思いました。苦労や挫折を知っている初代に比べ、2代目の社長はスマートだけれど迫力に欠けるきらいがあります。ですから、社長の言う「私は1・5代目」という意識に、関心を持ちました。

加藤 私が永井さんと知り合ったのは、加藤精機をエイベックスに社名変更してからですよね。あえて加藤の名を外し、経営理念を作り、新しい出発をした。第2の創業です。そういう意味で、私は自分のことを「1・5代目」と言っていた。しかし、すべて変えたつもりでも、会計だけが旧態依然で残っていたんです。名南経営さんに会計を、後にコンサルタントをお願いしたのも「会社を変える」という意識からでした。

永井 経営理念など原理原則の部分は、既に確立している部分なので、私どもで申し上げることは何もありません。しかし数字を見るなど、具体的なアドバイスは必要とされています。足りない部分を補完するという位置付けですね。

加藤 コンサルタントをお願いする最大の理由は、私の(経営者としての)判断に対して、第三者の視点から意見をいただくことにあります。コンサルタント会社の方は、他の会社もたくさん見ておられるから、他社さんの事例も参考になります。しかも、短期的にはもちろん、中・長期的な見方ができ、必要とあれば軌道修正もできます。また、大きな決断が必要なときには、やはり数字の裏付けがないと不安ですからね。


今までで思い出に残ったお仕事を教えてください

永井 いくつかありますが、中でも2000年に中・長期の経営計画(2010年ビジョン)を策定したことは大きかったですね。多度工場を作るきっかけになりました。

加藤 その頃、工場が手狭になり「5年後には新工場が必要になる」という議論が、社内で持ち上がったんです。永井さんに相談したところ「中・長期計画を作りましょう」ということになった。それで、専務など少数精鋭の社員で、半年間かけて計画を立てました。ところが作成の途中、社員から「社長は会議に出てくれるな」という要望が出たんです。「白紙の状態から、計画を考えたい」とね。私は出たかったんだけど…(笑)

永井 社長から「どうしよう?」と相談を受けたので、私は「何度も意思疎通を重ねているので、社長の意志とそれほどズレることはないと思います」と言いました。社員の気持ちを尊重しましょう、と。

加藤 それからは「やるなら徹底してやろう」と、私には一切内容も秘密で、計画が作られました。完成した中・長期計画では、新工場の構想は盛り込まれていましたが、具体的なものではなかった。その後、さまざまな検討を重ね、やはり海外より国内に絞るなどの具体案が進みました。そして計画策定の4年後、2004年に多度工場が完成しました。

永井 このやり取りからもわかる通り、エイベックスさんの社員の方には、いわゆる「加藤イズム」が色濃く受け継がれていますね。もちろん経営技術的なことは、今後も成長していくべき部分ではあると思いますが。


60年間、経営を継続できた秘けつは何だと思いますか?

永井 さまざまな会社を見ますと、長い歴史のある会社は、ものの考え方が柔軟なんです。"変わること"に抵抗が少ない。かといって、柔らかすぎてもいけない。一本、芯が通っていることが重要なんです。そして、要所要所で意志決定ができること。最後の依りどころは「自分を信じる」ことですね。このタイミングが遅れる会社は、だいたいおかしくなってしまう。

加藤 いや、運も良かったんですよ(笑)。結果オーライです。

永井 社長はそうおっしゃいますが(笑)。人を引き寄せ、巻き込めるのは、社長ご自身が素直で勉強好きで、そしてプラス志向だからですよ。それが周囲にも共鳴するのでしょう。だから、時にはエラーがあっても修正できる。社長はよく「人が成長しないと会社が発展しない」と言いますが、これは社長ご自身が、自分に言い聞かせているのではないかと思いますよ。

加藤 あまり意識してやっている訳ではありませんけれどね。でも確かに、種はどこかで蒔いているかもしません。当面の目標は「創業100年」ですが、本当は「無限大」です。私も含め、社員はいずれ新旧交代する。しかし新しい社員が成長し、新陳代謝をする中で、会社の根幹が不変であれば、会社は続くと、私は思っています。

永井 会社の利益というのは、あくまで結果的なものです。目先の利益を短期的に追うと、いずれダメになる。理屈で言えば、時代の流れを踏まえ、真っ当なことをしていれば、利益は後からついてきます。ポイントは、経営思想が正しく、かつ経営者と社員が、同じ目線でいることです。利益は経営が正しかったことを測るものさし。仮に業績が悪かったら「仕方ない」で諦めるのではなく「何がいけなかったのか」と考え、行動できる会社であるべきです。

加藤 そうですね。私は言葉は違いますが「目的と手段」と言っています。目的は、会社と社員の成長。そのために、維持をしないといけない。会社が存続しないと目的が達成できないからね。維持するためには、発展しなければいけない。そのための意思統一の一つの手段が、目標値です。そして目標値を設定することが「発展」につながる。これは前年対比ではなく、その時々の「身の丈に合った」数字であることが肝心です。


勝ち続ける会社の姿とはどのようなものですか?

永井 柔軟に世の中を見ることができ、スピーディーな対応ができる会社が、勝ち続ける会社だと思います。おそらく当面、マーケットに大きな拡大はない。そういう時代には、スピードこそ重要です。これは中小企業がもっとも得意な分野でしょう。その一方で、大事なものだけはしっかり守ること。芯さえ通っていれば、極端に言えば朝令暮改…いや、朝令昼改でもいいと思います。

加藤 そうですね。どんな時代でも「矛盾がない」ものは変えるべきでないと思いますね。逆に、矛盾の出てきた部分は、社会とズレが出てきた証拠で、変える必要がある。絶対に変えてはいけない部分は、社会の原理原則の部分ですよ。そこでフラフラすると、もっとひどい目に遭う。30年前に書かれた経営書の名著は、今もそのまま使えます。それは結局のところ、原理原則を説いているからですよね。

永井 全体を変えると、矛盾が生じるということでしょうね。良いことは良い、悪いことはしてはいけない。こういう普遍的な原理原則は、今も一千年前も、さして変わらない。これは歴史が証明しています。

加藤 経営思想は、創業から変わらない。しかし、戦略はどんどん変えないといけない。そのためには、いつも経営環境を感じ取りながら、ソフト分析が必要だというです。それが結果、他社との差別化につながり、会社の弱い部分を強化することになる。私たちは、自動車部品メーカーではなく、切削加工メーカーなんです。その強みを生かすには、どうしたらいいか。それを常に考えていくことですね。それが勝ち進む経営だと考えます。

永井 まったく同感ですね。普通、社長が考えすぎる会社は、社員が考えなくなるんです。逆に「考える文化」が根付いた組織は、強い。何故かといえば、社員の経験量が違うんです。なにか出来事が起こったときに、1つのことしか考えない人と、5つのことを考える人とでは、経験量が5倍違うことになる。この経験こそが、会社の柔軟性を生み出すんです。

加藤 あとは、社員のそれぞれが、自分の役割を認識することですね。私には経営者としての役割があり、その範疇を逸脱してはいけない。同じように社員一人ひとりが役割を自覚し、主体的に考え、行動する。それが会社を発展させ、社会に貢献するパワーになる。だからこそ、社員が安心して仕事に打ち込める。これも変えてはいけない、芯の部分ですね。