エイベックス60年の歩み/AVEX記念誌

AVEX記念誌
昭和34年9月24日、伊勢湾台風が中部地方に上陸。死者5000名以上の、未曾有の大災害をもたらした。もちろん加藤精機の被害も甚大だった。以下は、久野氏の回想だ。

「その日の晩は普通どおり、残業を行っていました。ところが奥さんが8時頃になって『もう家に帰って!』と、慌てて仕事場に飛び込んできたんです。雨風の音はしていましたが、みんな仕事に集中していて、ラジオも聞かず、どんな状況かも分かってなかったんですね」。

仕事を切り上げ、急いで着替えている時に停電になった。「今から考えれば、紙一重でしたね。その後、堤防が決壊したので…」。
当時、まだ住み込み勤務だった岩元氏が言う。「私は九州出身なので台風は慣れているんですが、窓を開けたら瓦が紙のように吹き飛んでいて、驚きました。玄関の扉を開けたら、わーっと水が入ってきて、浸水が止まらなくなりました」。
悪いことに、社長の一明は岐阜に出かけていて不在。暴風雨で足止めを食らい、その夜は結局、岐阜から戻ってこれなかった。

一夜明けると、何事もなかったかのように青空が広がっていた。しかし工場も含め、辺り一面が濁水に呑み込まれていた。照子と岩元氏は、住まいの2階に避難し、水難を逃れていた。
 山下氏「工場は比較的高い場所にあったので、水自体は1日ほどで引けました。しかし、機械から製品、工具まで、工場のすべてが泥水に浸かっていました」。

従業員が総出で、約1ヶ月かけて復旧に当たった。機械は独自で修理した。モーターを分解し、洗浄。そして七輪で火をおこし、部品を乾かして元通りに組み付けた。
久野氏「何10台という機械を直しました。昔の機械は構造が単純で、電気系も少なかったので可能だったんです。今の精密で複雑な機械だったら、もちろんアウトですよ(笑)」。急を要する部門から、優先的に復旧させた。アイシン精機からも応援が来たという。

当時の決算書を見ると、伊勢湾台風の翌年(昭和35年)の売上げは半分に落ち込んだ。災害復旧の余波がそのまま数字に出ていたが、従業員には変わらず給与が支払われた。この時の経営の苦労は、いかばかりだったろうか。

しかし、悪いことばかりではない。その伊勢湾台風での経験が、後に生かされた。
機械を分解することで、内部構造を理解する機会に恵まれた。その経験をもとに、後に中古設備を購入して、レストアするオリジナルの技術を生み出した。

※写真資料から:「満潮時は水深2メートルとなり、工場内機械・製品・半製品・工具・測定具等泥水の中に化した」とある。「毎日停電の為、ローソク・乾電池を頼りに夜遅くまで復旧に全力を傾注した」とも。