エイベックス60年の歩み/AVEX記念誌

AVEX記念誌
業務拡張に伴い、昭和38年に資本金を400万円に増資。翌年の昭和39年、工場の増築とともに工場2階に、従業員の福利厚生を目的に厚生ホールが作られた。

久野氏「当時、社員数は30人ほどで、手狭になったんでしょう。厚生ホールは、文字どおり社員のための食堂兼娯楽施設でした」。
それまでは各自でお弁当を持参して食べていたが、厚生ホールが完成してからは、食堂で仕出しの弁当が出されるようになった。「弁当を作る手間が省けた、楽になりましたよ」。

厚生ホールがなかった当時は、社員の福利充実の為、エルモ社16mm映写機を親しい会社と共同購入し、エイベックスの増設した第一工場にて上映会を行っていたが、これに代わり厚生ホールができてからは、エルモ社からフィルムを借りてきて劇場映画上映会を行ったり、忘年会や新年会もそこで開催され、盛況を博した。「まさに社員の憩いの場でした」。皆勤賞や勤続表彰の場では、照子が対象の社員ごとに背広や布団一式などを見つくろってプレゼントした。

卓球や野球のチームも結成され、社員同士のレクリエーションが盛んに行われた。時には、黒田精機と親交の深い会社の親睦団体「清報会」で、対抗戦が行われた。そのために昼休みや終業後などには、選手となった従業員が練習にいそしんだ。

家族的な社風が残されていた時代だった。正月は必ずおせちを用意し、社員に振る舞ったという。
従業員は年始のあいさつで工場に隣接する社長宅を訪れ、もてなしを受け、その足で熱田神宮に初詣に行った。明彦(現社長)は「お正月は、家族総出で皆さんの接待をしました。家族はみんな、缶詰状態でしたよ」と、当時を振り返って笑う。